ブリューゲル 洗礼者ヨハネの説教

ブリューゲル 洗礼者ヨハネの説教

その他の作品 1
その他の作家
洗礼者ヨハネの説教
洗礼者ヨハネの説教
Pieter Bruegel
ピーテル・ブリューゲル
1525年-1530年頃生 〜 1569年9月9日

「農民の踊り」「子どもの遊戯」「雪中の狩人」などの風俗画で有名な画家であるが、生年は(1525年から1530年の間と推定されているが)不明である。生地についてもブラバント地方のブレダとする説もあるが、確かなことはわかっていない。
同名の長男と区別するため「ブリューゲル(父、または老)」と表記されることが多い。 同名の長男は「地獄のブリューゲル」と通称される画家であり、父の模作を多く作った。二男のヤン・ブリューゲルは、静物画、特に花の絵を得意として「花のブリューゲル」と通称されている。ブリューゲル一族は、他にも多くの画家を輩出している。もっとも、父ブリューゲルが没した時、長男は5歳、二男は1歳であって、父から直接絵画の手ほどきを受けたわけではない。(以下の記述中の「ブリューゲル」はもっぱら父親のピーテル・ブリューゲルを指す。)
ブリューゲルの名が、アントワープの聖ルカ組合(画)家組合)の一員として登場するのは1551年のことである。前述のとおり、それ以前のブリューゲルの経歴については、生年も含めてはっきりわかっていない。農民を多く描いたことから「農民画家ブリューゲル」の呼称もあるが、画家自身は人文主義者とも交流のある、教養人であったようである。
1551年をあまり隔たらない時期にイタリアへ行き、1555年頃までにはアントワープに戻っている。ブリューゲルの絵画はイタリア的というよりは北方的であるが、イタリア旅行の影響は、その後の作品の風景表現などに部分的に見られ、代表作『雪中の狩人』の風景には、イタリアへの往復で目にしたアルプスの風景が反映していると考えられている。
初期には先輩画家ヒエロニムス・ボスの影響の強い、版画の下絵を主に描き、油彩に専念するようになるのは1560年前後からである。今日知られるブリューゲルの代表作は、この頃から、没年の1569年までの10年足らずの間に描かれている。1563年にはアントワープからブリュッセルへ移り、結婚するが、1569年幼い息子2人(後に画家となる)を残し、30代末?40代前半の若さで没している。
ブリューゲルの作品は、驚くほど細かい細部まで丹念に描きこまれ、歴史資料、風俗史資料としても貴重な、多くの視覚情報を含んでいる。『子どもの遊戯』などはこの作品に登場する「遊び」の解説だけで1冊の本が出ているほど、興味の尽きない作品である。

その他の作家>

ボッティチェッリ  ダ ヴィンチ  デューラー  ミケランジェロ  ラファエロ  ブリューゲル  グレコ  ルーベンス  ハルス  ヴァン ダイク  ベラスケス  レンブラント  ロイスダール  フェルメール  ヴァトー  ブーシェ  フラゴナール  フュースリー  ゴヤ  ダヴィッド  ダエル  ジェラール  グロ  コンスタブル  アングル  ジェリコー  コロー  ドラクロワ  ミレー  クールベ  ジーム  シャバンヌ  ピサロ  マネ  ドガ  ラトゥール  シスレー  セザンヌ  ルドン  モネ  ルノワール  ゴッホ  ルソー  ゴーギャン  スーラ  ミュシャ  マイヨール  クリムト  ムンク  ロートレック  カンディンスキー  ボナール  ドニ  マルケ  ブラマンク  デュフィ  クレー  ピカソ  ユトリロ  モディリアーニ  パスキン  シーレ  モランディ  キスリング
このページのトップへ