クールベ 流れに憩う鹿

クールベ 流れに憩う鹿

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ギュスターヴ クールベ 流れに憩う鹿
流れに憩う鹿
Gustave Courbet
ギュスターヴ・クールベ
1819年6月10日 〜 1877年12月31日

フランスの写実主義の画家。
1819年、スイス国境に近いフランシュ・コンテ地方の山の中の村、オルナンに、裕福な地主の子として生まれる。1840年、21歳の時にパリへ出て、ソルボンヌ大学法学部に入学するが、本人を法律家にさせたかった父親の意図に反し、彼自身は画家を目指し、ルーヴルに通っては巨匠たちの作品を模写した。1844年、25歳の時には3点の絵画がサロンに入選しているが、これは当時の画家としては遅咲きのデビューである。
1855年、パリにおいて世界で2番目の万国博覧会が開催された。クールベは、この万国博覧会に大作『画家のアトリエ』と『オルナンの埋葬』を出品しようとするが、彼自身が描いた他の作品は審査を通過したにも関わらず、これらの大作は落選してしまった。そこでクールベは、博覧会場のすぐ近くの建物を借り、「ギュスターヴ・クールベ作品展。入場料1フラン」という看板を立て、1855年6月28日から公開した。当時、画家が自分の作品だけを並べた「個展」を開催する習慣はなく、このクールベの作品展は、世界初の「個展」だと言われている。また、この個展の目録に記されたクールベの文章が、後に「レアリスム宣言」と呼ばれることになる、美術史上著名なものである。「レアリスム宣言」において、クールベは「自分は生きた芸術をつくりたいのだ」と言っている。彼の意図は、単なる古典絵画の模倣ではなく、今の時代の風景、人々、現実を自分の感じたままに描くということであった。21世紀の今日から見れば当然のこのような考え方も、19世紀の保守的な市民たちにとっては、驚くべき革新的なものであった。
クールベはプルードンらの社会主義者とも交際し、伝統的な価値観に対する挑戦と急進的言動が目立った。1870年にはパリ・コミューンに参加し、反乱に荷担したかどで投獄までされている。その後スイスに亡命し、1877年、亡命先で58歳の生涯を閉じた。なお、オルナンの生家はクールベ美術館になっている。

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